「ワシントン ナショナル・ギャラリー展」&「空海と密教美術展」

「真夏のピークが去った」とようやく感じられるようになった昨日、満を持して前から行きたかった2つの展覧会を見に行ってきた。


見た順で言ったらナショナルギャラリー展のことを先に書くべきなのだが、興奮冷めやらぬうちに空海の方を・・・。



いちばんの楽しみは、恐らくこの展覧会を見に行く多くの人がそうであるように、京都東寺からはるばる出張していらした仏像群による立体曼荼羅
東寺講堂には、何を隠そう現在私の好きな仏像ランキング第1位の梵天さまがいらっしゃる。まあ、永遠の片思いですが・・・。


東寺は大好きで、立体曼荼羅のある講堂には多分7、8回は訪れていると思うのだが、あの空間でいつも私を魅了してやまない諸尊が、博物館の展示室というまったく異空間に置かれた時、一体どのように見えるのか?アウェイでの仏像たちを見てみたい!というのが、単純かつ最大の興味であった。


展覧会のクライマックス、最後の展示室に彼らはいらっしゃった。
東寺講堂に安置されている21体のうち8体が、暗闇の中、スポットライトに照らされて浮かび上がる。
配置は、東寺と同じ。


展示室に足を踏み入れた瞬間に感じたのは、ピーンと張り詰めた緊張感と、静けさ。
博物館なのだから静かなのは当たり前かもしれないが、ホームグラウンドの東寺講堂で彼ら一同を目の前にする時、なぜだか私はいつも、何かしらの「音」で満たされているように感じる。
もちろん、実際には音などないのだけれど。
それは僧侶の声明なのか、密教法具の音なのか、はたまた明王や四天王の叱責や威嚇の声なのかもしれないが、21体もの諸尊の妖しく圧倒的なオーラとともに、実際には聞こえるはずのない音が聞こえるような、なんとも不思議な感覚を覚えるのだ。


今回、展示室においては一変して静寂に包まれていた。まるで、いつもとは違う環境に置かれた諸尊たちが、緊張して息をひそめているようにも感じた。
そのおかげで、一体一体に集中し純粋に美術作品として、鑑賞することができた。


まず感激したのは、全ての仏像に関して、その背中が美しかったこと。
360°ぐるりと鑑賞できるのはよいものの、背中は意外と貧弱だった・・・なんていうケースはたまにある。(阿修羅とか。。。「華奢」と表現すべき?)
しかし今回はどれもお見事。
肩甲骨の出っ張りや、肩からウエストにかけてのくびれなど、後ろから見てもガッカリさせない、均整のとれたプロポーションであった。


大好きな梵天さまは、相変わらず妖艶かつエキゾチックな表情で人々を魅了していた。



乗っているガチョウの足と、広げた手の先と、頭のてっぺんを結ぶと、ちょうど綺麗なひし形に収まる。調和のとれた造形が素晴らしい。
繊細で美しい右手(手前)にもギリギリまで接近して見ることができ、大満足。
ぐるぐるぐるぐる、私は梵天像のまわりを何周してしまっただろう・・・。


しかし、やはりいちばん多く人が群がっていたのは帝釈天。(学生の頃一目惚れの経験あり 笑。)
「ハンサムね」「いい顔してる」という声があちこちから。



確かに、いつ見てもキリっと涼やかで、綺麗なお顔。


今回は一体一体細部にまで集中できたこともあり、普段はさほど意識せずにいた印(手のポーズ)にも大変興味をそそられた。
中でも五大明王の一人、降三世明王の結ぶ印(両手の小指を絡めて腕をクロスさせる、降三世印)は独特で、いかにも密教的というか妖しい雰囲気を醸し出しており、像の前で思わず真似してしまったほどである。



そして、この憤怒の表情。怒りっぷりが半端ない!

しかし、恐ろしさの中にもやはりどこか妖しさと神秘性を湛えていて、惹き付けられてしまうのだ。
この方にだったら踏まれてもいいかも・・・って(笑)
ちなみに踏まれているのは邪鬼かと思いきや、ヒンズー教最高神シヴァ(自在天)と、その妻ウマー。
密教では、自在天は三世(根本の三つの迷い・欲)の主と言われ、それを降伏する為に降三世明王は踏みつけているのだそう。


あぁ、やはり長くなってしまった。。。もっと色々書きたいけれどこの辺で。

ナショナルギャラリー展もとても見応えがあってよかったので、また機会があったら書くことにする。